2018年06月08日

同じことを繰り返し、違う結果を期待しよう。

 しかしあれかね、セリーグの連中ってのは、恥ずかしくないのかね。毎年毎年、交流戦のたんびにパリーグの方が今年も強いだろう、って事前に云われてて、実際、毎年毎年その通りに負けてて。みっともねぇとか思わねぇのかね。永らくジャイアンツの人気にぶる下がってるだけで食えてた根性がいまだに抜けねぇのかね。ほんと、当たり前みたいに負けてやがる。交流戦のセリーグを見てるとなんだか、この期間を仕方なしにやり過ごしてるように見えちゃうン。

 閑話休題

 まあそんな中でも奇跡のような対決が観られる面白さも交流戦にはあって、たといば二〇一五年、横浜スタジアムでのゲームで見られた、ホークスの柳田悠岐とベイスターズの三浦大輔の対決などは、日本人離れしたパワフルな打撃で今を盛りと活躍する柳田と、四〇歳を疾うに過ぎた現役最晩年の三浦が、ゲームの展開そのものとは隔絶した個人の対決、ストロングスタイルの攻防を見せてくれて、いやあれはまじで面白かった。ベイ・ファンの視点からいうと、あれが出来るからやはり三浦大輔はエースたり得たのだろうな、と強く思ったネ。
 みんなあん時の三浦ぐらいの感じで、知力を含めたポテンシャルのすべてを振り絞ってかかっていけよセリーグの連中。ったくどいつもこいつも躱すことばっかり考えてやがって。そんでアウトコース踏み込まれてガンガン打たれてンだから世話ァ無ぇっつーの。

 閑話休題

 しかし時代は変わったなあ、と思うのは、それはまあ昭和の中頃から既に「人気のセ、実力のパ」なんてことが云われていたが、世紀が改まったあたりからパリーグ人気に火が付きいつしかそれが定着、やがてはセリーグにもその流れが飛び火、ついには、不人気だったベイスターズやカープなどの主催ゲームが連日満員となるまでになった。ベイスターズ対スワローズ戦が横浜・神宮共に満員になるなんて信じられない光景だ。
 さらには、このところAmazonのFireTVのスタート画面に出てくるDAZNの宣伝、そこに登場する複数球団の選手たちのコラージュにジャイアンツの選手が一人もいない。まあこれにはジャイアンツの主催ゲームをDAZNが配信していないという理由があろうけれども、それにしたって、二十年前だったらジャイアンツ不在の有料プロ野球中継なんて迚も成立しなかっただろう。
 ほんと、時代って知らん顔していつの間にか変わってしまうよね。

 閑話休題

 そうそう。時代が変わったといえばSMAP解散以降のジャニーズも下劣なスキャンダル連発で、やっぱ時代が変わったんだ、と、高校時代に北公次の暴露本をクラスのみんなで回し読みした僕は思うのであった。ジャニーさんの手が俺のパンツの中に。

 閑話休題

 だいたい夕方のニュース番組のメイン・キャスターを、特に知的で売っているわけでもなかったジャニーズのメンバーにやらせるって発想自体が狂ってるっつーの。同様に夜のニュース番組で桐谷美玲がキャスターを勤める、ってのもわけがわからない。
 ほんと、普通にやれ普通に。まともにやれまともに。妙ちきりんなことをして悪目立ちしようとすんな。

 閑話休題

 そのうちにヒカキンがニュース番組のキャスターをやったりするんだろうな。テレビかネットかわからんけど。

 閑話休題

 そうしてまた、この十年ほど、日本らしい四季が失われたと僕は思っている。春と秋が無くなり、夏と冬が度を越して苛烈になり、梅雨の時期は快晴と豪雨の繰り返し。剰え当たり前のように各地で雹が降り竜巻が起こる。しかしそうした一年を、四季が失われたと嘆いて過ごすのは、四季の移ろいを豊かに感じられた時分を生きてきた私のような世代以上の人間であって、そうした時分を知らぬ若者や小供たちは、昨今の苛烈な気象状況を当たり前のものとして平気で受け入れ楽しそうに過ごしている。そういうものだ。ハイホー。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。いやほんと、ガチンコ、とか、ガチで、っていう言葉、なんだか汚らしくって嫌ですね。だいたいに於いて符牒とか隠語の類ってのは、本来、表に出る言葉ではないから、大抵汚ならしい響きの言葉ですわいね。


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2018年06月03日

貴方は私の一生もの

 そうして私は、生まれてこの方はじめて中野ブロードウェイへ足を踏み入れ『マカロニほうれん荘展』を観てきたのだった。

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 さして広くはない展示スペースの壁面その全てに『マカロニほうれん荘』の原画やイラスト、当時のチャンピオンの切り抜きや双六みたいなゲーム、更には今回の展示に寄せた鴨川つばめ大人のメッセージ色紙などが展示され、それだけでも懐かしさで泣き崩れそうになるというのに、さして広くはないスペースに年齢層高めな善男善女、つまりは私のような大人になりきれない部分を大いに抱えたような人々が大挙参集していたものだから堪らない。身動きを一つ取るにも往生するような有様で、それでもなんとか写真を撮り(スペース内は撮影自由)、九十九折になったグッズ売り場の行列に並び缶バッジなどを買って展示会場を後にした。
 それはまあゆっくり鑑賞したかったというのが本音だが、それよりなにより、今の私を作り上げるのに欠かせない要素であった(というかいまでも外せない要素だネ)『マカロニほうれん荘』の世界に、単なるノスタルジーではない形で浸ることができたというのは全く素晴らしい体験であった。
 そうしてまた、連載が終わってからすでに四十年近くが過ぎているのだが、これだけの人々の中で、きんどーさんやトシちゃん25歳、そうじやルミたんやクマ先生が未だに生き続けていることを目の当たりに出来たのは、まったく素晴らしい体験であった、ってほら、嬉しくって頭がおかしくなっているから立て続けに同じ文言で段落を締めくくってしまったよ。

 閑話休題

 しかしあれかしらねぇ、これだけ面白い『マカロニほうれん荘』にしても、当節のコンプライアンスに照らし合わせるとアウト、の判定がなされてしまうのかなあ。エロ禁止の方面だったりLGBT方面だったり、そういうところから鋒鋩打たれるのかしらん。やあねぇやあねぇあらあらやあねぇあらあら違うのよ。おーっほおっほ。

 閑話休題

 話は変わるがなんで今更『50回目のファーストキス』のリメイクなんだよ馬鹿じゃねぇのかこれだから最近の邦画は。と思って鼻で笑おうと思ったら福田雄一氏と山田孝之氏のコンビに長澤まさみ嬢が加わるギャグだくさんの映画だと聞いてすぐに心の中で、即断して鼻で笑おうとしてどうもすみませんでしたと心の中ですぐに謝まり自分で自分のお尻をぺんぺんしたもちろん心の中で。

 閑話休題

 あーでもあれなのか、ドリュー・バリモアの方は『50回目のファースト・キス』だから違う、ってことなのかしらん。『人間・失格』みたいな、野島伸司的なことなのかな。まあどっちでもいいか。しかしあの頃のドリュー・バリモアは可愛かったよなあ。

 閑話休題

 近頃僕は故あってご老人の皆さんを間近で観察する機会が多くなっているのだけれど、総体的において、好奇心を失っていない方というのは老け込まないものだなあ、という印象を得ております。
 世間で話題になっていること、またはなっていないこと、とにかく自分のアンテナを大いに広げ、そこに引っかかった話題・事象についてフラットな心で目を向け足を運ぶ、みたいなことをしている人は、やはり老け込まず、孫世代のような若者とも、媚びることも高圧的になることもなくフラットに話をしているように見受けられます。
 然し乍ら、それが出来るご老人はやはりほんの一握りで、多くの方々は世間に興味を失い目の前の些事に拘泥し、テレビのワイドショウで見聞きしたことをそのまま話して今の世の中は……と嘆くばかり。若者と話をする様子もやはりどこか高圧的に接しているように見受けられます。
 いいご老人を見ては、持って他山の石、とせんければならんと思い、そうでないご老人を見ては、人の振り見て我が振り直せ、とせんければならんと思いますな。

 閑話休題

 そうして中野ブロードウェイに向かう道すがら、乗車した電車の中、どうした按配か、心中でずっと、伊東四朗師と小松政夫師がさんざ流行らせたフレーズが繰り返し再生されて、いわゆるところの思い出し笑いをしそうになって大いに困った。ニン。どーかひとつ。ながーい目で。ダメなのねー ダメなのよー ニンドスハッカッカー マァ ヒヂリギホッキョッキョー。もーいや、もーいやこんな生活、お金返すからお家帰して。なんてな感じでずっとこんなフレーズの数々が心の中で渦を巻いていて、あー、つまりはそういうことだ、『マカロニほうれん荘』と同じく、僕を構成する要素のひとつだ、ということなんだろうと思った。ツン、ツクツクツクツン。わりーねわりーねわりーね・でーとりっひ。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。いまの子供たちも、終生捨てることがないものと出会えるといいね。

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posted by みやかけお at 12:44 | TrackBack(0) | 日記

2018年06月01日

噺家は世情のアラで飯を食い

 人生いろいろ。といえば稀代の名歌手島倉千代子嬢のヒット曲であるけれども、いやあしかし、ほんと人生いろいろだなあと思わされるのは、剛力彩芽や石原さとみと交際をするIT社長がいれば、自らプロデュースしたアイドルちゃんに対して同じ旅館の同じ部屋で隣に寝ることを強要したり、更には盗撮したりしてそのアイドルちゃんから訴えられているIT社長もいるということで、ほんと、人生いろいろ。男もいろいろ、てなことを思って僕だっていーろいろ咲きみーだーれーるわー、てな楽しい気分になります。

 閑話休題

 本日六月いっぴから我が国でも司法取引がスタートするという。司法取引のことを知れば知るほど「〇〇だって漫画持ってきてるのに」と、抜き打ちの持ち物検査の際、生活指導の教師から、学校に持ってきてはいけない漫画本を見つかり激しく叱責された際に平気で友達を売った、高校の同級生だったSくんのことが思い出されてならん。
 けれどもSくんはそうして友達を売ったにも関わらず特に量刑が減ぜられることはなく、〇〇共々、乱暴な生活指導の教師にぶん殴られておった。どっとはらい。

 閑話休題

 そうしてその陰で、タバコや酒を持ち込んでいる本当に悪い生徒は準備万端、けして見つからぬように態勢を整え抜き打ち検査をやり過ごしていたっけ。巨悪はいつだって目に付きやすい小悪の陰に隠れのうのうと存在し続ける。

 閑話休題

 近頃、脳科学などの観点から、老人にとってコンピュータ・ゲームをあすぶことはとても良いことだとわかった。みたいなことが云われるようになったが、少し待て。その老人たちというのは我々中年の親世代、ということは最初のファミリー・コンピュータが世の中を席巻した頃、コンピュータ・ゲームを目の敵にして悪者扱いしていた連中ではないのか。ゲーム脳、なんて言葉に諸手を挙げて賛同していた連中ではないのか。まさか現在の風潮に平気で乗って、嬉々としてコンピュータ・ゲームをやり始めたりするのじゃないだろうな。だとしたらいい加減にしろよまじで。

 閑話休題

 しかしあれですよ。老人たちに自動車の運転免許を返納させたいのだとしたら、その対価として公共交通機関の割引を適用するなどの措置が必要なのではなかろうかね。人里離れた地域にお住いの方にはなかなか難しいことだろうが、少なくとも都市部においてはそのくらいの優遇をしなければならんのではないかしらん。
 ただでさえ年寄り扱いされるだけで腹がたつところに、長年持ち続けていたもの(それも生活の便利に直結するものだ)を、周りに迷惑をかけるかもしれないから捨てろ、と要求されて、はいそうですね、と従えるのは、メタ認知にすぐれた相当に理知的な人でないと難しいのではないかしらん。

 閑話休題

 斯く云う私とて、時代がここまで変わったのにいまだに自分のホームページを持つことをやめることができずにいるン。それが無くなったら自分が自分で無くなるような不安があるン。いま、何かを表現するならばYouTubeやSNSの場でやるのが常道になっているのにそれができずにいるン。年寄りを嘲笑していられない。自分が獲得したものからはなかなか離れられるものじゃあないン。

 閑話休題

 因みに語尾に”ン”てつけるのは、ちくま文庫の『志ん生の噺』っていう落語の速記本シリーズの真似をしてるン。なので小池一夫氏のン、とは用法が違うン。

 閑話休題

 しかしなんていうかあれだね、これをこうやって面白おかしくしておけば誰かがSNSに上げてウケるだろう。みたいな計算で何かをし始めるともう面白く無くなるね。キャラ弁だとかお店の臨時休業の理由(”逃げた妻を探しにゆくため明後日まで臨時休業します”)とかそういう類のものってあるでしょう。
 なんてのかな、『プレスリーは生きていた』みたいな妙ちきりんな一面の見出しがウケていると気づいてしまい、狙って見出しを作り始めてからの東スポが急速につまらなくなったのと同じ効果、って例えが古いよ三十年も前の話じゃねぇかそんなもの伝わらねぇよばあか(自己批判)。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。うーん、大和が入ってきたことで倉本の特徴の無さが目立ってしまったようだなあ。守備なら柴田の方が上だし打撃なら山下光輝の方がセンスがあるし足は宮本の方が比べ物にならないほど上だしなあ。ただ存在感は倉本の方が断然あるんだよ、チームリーダーになれそうな雰囲気というのか。チームスポーツって難しいねぇ。



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posted by みやかけお at 09:27 | TrackBack(0) | 日記