2018年08月17日

meaning of life.

 残暑お見舞い申し上げます。お盆も無事に終わりまして、七年前の九月に亡くなった我が愛犬たる芝犬のコロちゃんを無事に迎えたり送り出したりしたところで御座います。私の住まっております関東南部では、今日あたりから急激に秋の空気が漂い始め、朝などは結構涼しかったんですが、正午を過ぎるあたりからはぐんと残暑厳しき暑さに見舞われまして、横断歩道などでは信号待ちをする皆さんが我先にと日陰の取り合いを繰り広げ、その争いは時を経るごとに高じて行き、ついには腕力に頼りがちな屈強な男たちが互いの胸ぐら掴んで殴り合いを始めるといった始末で、気がつけば横断歩道の白線は血の色に染まり、顔面その他を血塗れにした男どもの死体がそこいら中に累々と転がり、恐怖に満ちた女性の悲鳴が聞こえ、救急車のサイレンがけたたましたく鳴り響き、それに反応する犬の吠え声が聞こえ、猫は無視を決め込み木陰で涼み、虚ろな目をした痴呆症の老人が徘徊をし、車はぶつかりバイクは転倒し自転車のチェーンは外れ、プール帰りの子供は日焼けをし、野菜の値段は高騰し、雷は落ち、井戸は干上がり、靴下には穴が開くといった塩梅でまさに阿鼻叫喚の地獄絵図。そんな中で私はひとりこうしてブログを書いています。私は元気です。おちこんだりおちんこだしたりしたけど私は元気です。誰がなんと云おうと元気です。元気だっつってんだろ信用しろよ。元気一杯! ファイトいっぱい! ファイト!オー! ファイト!ファイト!新栄! ファイト!ファイト!新栄! 安いわよーん。

 閑話休題

 全く意味のない文章って書いている当人は楽しいけど読む方はたまらないよね。

 閑話休題

 真剣に有名人になりたいとは一度たりとも思ったことがないのだけれど、もしも有名になったとしたら、ラジオショッピングというのをやってみたい気がする。普段は色々な事象に毒の効いたツッコミを入れているラジオ・パーソナリティの人が、そこで販売する商品をやたらに褒め出すなど、とてもいい人に豹変するあの感じがとても好き。人間って結構楽しいよね、食っていくのは楽じゃないよね、という気にいつもなる。

 閑話休題

 やはり『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』は大変に面白くて、最新作のシーズン6も一週間で観てしまった。群像劇としての出来がとにかく素晴らしい。序盤は細かいエピソードが散りばめられていてともすれば散漫にも感じるのだが、中盤を迎える頃にはそれが一つにまとまり始め、ついにはパズルのピースがぴたりと嵌るように大きな結末へと結ばれて行くその見事な手際。ちょっとこれだけのドラマはそうないだろうと思う。

 閑話休題

 ドラマといえば朝ドラ史上最低を争うとの呼び声も高い『半分、青い』をまるで歯を食い縛るようにして見続けていたのだけれど、その内容の低劣なこと、加えて脚本家のツイッターもまた輪をかけて低劣なことに嫌気が差してとうとう離脱した。いやしかし本当にどうしようもないレベルのドラマで、まあ一度怖いもの見たさで見てみるのはいいかもしれない。何しろ必要なはずの描写を何もしないまま話を進めて行くんだからものすごい。序でに北川悦吏子のツイッターも覗いてみるといいと思う。どう見てもあの人は本物。本物のあれな人。本来世の中に出ちゃいけない類の人。

 閑話休題

 RPGツクールMVが思い通りに動かせずに困っています。なにしろマニュアルがないからなあ。今年中になんとかなるかなあ。ゲームじゃなくてシットコムを作ろうとしているから余計に面倒なのかなあ。まあ仕事でやってるわけじゃないからのんびりやろう。

 閑話休題

 最近はテレビ放送をあまり見ない所為なのか世の中のことがだんだんわからなくなってきている。ニュース系のアプリなどで一応、一通りの大きなニュースは見ているつもりなのだがどうも確と頭に入ってこない。しかし考えようによっては、確と頭に入ってこないことは自分にとって重要なことではないのかもしれない。
 私のような団塊ジュニアというのはテレビっ子の最後の世代だから、どうしてもテレビから情報を得ることが当然と思い、且つ亦、テレビの中の人が云うことを自動的に信用しようとする妙な心の働きがあるような気がしてならない。
 ところが一方ではポストテレビ時代、つまりはインターネットの黎明期を知る世代でもあるから畢竟、テレビを疑う気持ちも強く持っている。結果どうしたらいいのかわからない。明らかにベクトルの異なる二つのメディアの間で常に揺れている。
 これが私らの親の世代であればテレビだけを信用してインターネットを知らずとも平気で生きていける。将又、私らの子供の世代であれば躊躇なくテレビを捨ててインターネットだけで平気で生きていける。私らはテレビもネットもどちらも面白く体験してきたが、それだけに中途半場になっているような気がしてならん。

 閑話休題

 あのー、ananのセックス特集の号は、コンビニの雑誌売り場ではちゃんとエロ本コーナーに置くべきだと僕なんかは思うよね。お洒落な女性誌だというだけで、多くの女性が平気にエロ本を買えるというのはなんか気にくわないよね。『デラべっぴん』ですら買うのに辺りを伺ったりしていた思春期を過ごしてきた20世紀ボーイとしては絶対にこれは不公平だと思うよね。ちゃんと疚しい気持ちを抱えてエロ本を買う状況に陥って欲しいよね。なんかずるいよ。なんか女のほうだけエロが隠さなくていいもの、ファッションのひとつみたいになってるのはまじずるいよ。やってることは同じなのに。こっちは同じ情報を得るのに週刊大衆を読んでんのに。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。まあどう考えても先発投手陣の建て直しが我がベイスターズに課された喫緊の課題だよなあ。ここまで酷くなるとは思わなかったものなあ。伊藤光という実績のある捕手が入ってきて、おそらく来年以降は彼を中心にバッテリーは回っていくだろうから、そこでどう変わっていくかだなあ。なにしろTBSが親会社だったことにより生じた失われた十年の為に、選手の年齢層が異様なことになっていて、実績のあるキャッチャーが一人もいないという状態が何年も続いていたからね。














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2018年08月05日

その時歴史は動いた。かもしれない。

 お暑うございます。世界はすでに八月に入り五日が過ぎようとしていますが、僕の部屋のカレンダーはまだ七月のままなので、僕的にはまだ平成三十年七月を生きています。だからどうだと云われるとと困るのですが、そうして困るのは嫌なので、できたら「だからどうだ」とかそういうことは云わないでください。人の生活を批判する暇があったらもっと自分のこと考えて生きてください。いい加減にしてくださいまじで。馬鹿じゃないのあんた。あんまりそういうこと云うと警察に云いますよ。

 閑話休題

 でもやっぱりあのボクシング協会の会長というのは昭和の遺物というか、絶滅危惧種に相当するキャラクターだから、世代を問わずちゃんと見て記憶しておくといいと思う。昭和という時代、それが間違いなくあったという悠久の記憶が、あの色つきメガネや白髪のオールバックなどからなる氏の存在に詰まっているのだと僕は思う。

 閑話休題

 悠久の記憶って変な言葉だな。まあいいや。エモーショナルな感じの言葉だったら意味なんか通じなくてもいいんだこういう場合。今の朝ドラなんかこういう聞こえのいい言葉が並ぶばかりでなんの内容もないんだから、あれに比べりゃ随分マシだ。

 閑話休題

 全く世の中というのは面倒なもので、たといば、ニンテンドースイッチなんかも、私が購入した昨年暮れの頃はまだまだ発売されているゲームの数が少なかった。しかしながらそのラインナップには『ゼルダの伝説 ブレス・オブ・ザ・ワイルド』『スーパーマリオオデッセイ』『マリオカート8デラックス』など、任天堂が再び波に乗り始めたとわかるソフトが取り揃えられていて、これさえ買っておけばオーケー、な状況があったように思う。しかしながらスイッチが爆発的に売れた所為だろう、その後、急速に玉石混交になってしまい、もはや何を買ったらいいのかわからなくなってしまった。小さなアタリショックはここでも起こっている。

 閑話休題

 というのも僕は、結構期待をしてファミスタの新しい奴を発売日にワクワクして購入したのだが、うーん、もうファミスタは無理だなあと思ったんである。パワプロが野球というスポーツを、素晴らしいレベルでシミュレートしている為に、野球の面白さを追うことはすなわちパワプロの後を追うことになるからだろう、結果的にファミスタの面白さを追い求める形になっている。しかしながらファミスタの面白さというのは初代ファミコンの機能的な制限があったが為に産まれた省略の面白さであり、それを、省略とはほぼ無縁のスイッチの時代に持ってくるのは無理がある。結果として「野球の、ようなもの」に堕することとなり、野球ゲームと銘を打つには無理がある内容になってしまっている。故に、プレイヤーとしては「スイッチが売れてるからとりあえず出したんだろう」と思わざるを得ず、うーん、アタリショック。と思ってしまうんである。

 閑話休題

 寡聞にしてPS4やXboxの事情はわからんのだが、スイッチの時代というか、コンシューマゲーム機がネットと不可分になったお陰で、インディーズゲーム界にとっては素晴らしい時代になったのではないか。スイッチで『ゴルフストーリー』というインディーズゲームを遊んだが、これなどは大変に面白かった。メジャータイトルでは絶対にあり得ないような設定・内容が見事にゲームの面白さに消化・昇華されていて熱中して遊んだ。インディーズが故にゲームのボリュームが少ないのも、集中力と時間の不足しているおっさんには好都合だった。スイッチ登場以前から、すでにSteamというインディーズゲームを流通させる場所が出来上がっていたことと併せて考えても、インディーズゲームの潮流は大きくなる一方だと思う。その潮流はけしてメジャータイトルと肩を並べるものではないだろうが、それでも一つの世界として、ゲーマー以外のライト層にも当然のものとして受け入れられるだろうね。

 閑話休題

 アイドルなんかもそうだよね。松田聖子の頃は云うに及ばず、モー娘。全盛の頃でも地下アイドルが存在することなどとても無理だった。それがいまでは当たり前のようになっている。そういうものだ。
 あとプロレスもそう。馬場猪木の力が落ちてきた途端にUWFは出来るジャパンプロレスは出来るFMWは出来る、そうしているうちにインディーズの存在が当たり前になり、そうしているうちにインディーズの闘龍門出身のオカダ・カズチカが、いまや我が国で唯一のメジャー団体となった新日本でトップを取るようになってるんだから、やっぱりそういうものだと思うよ僕ぁ。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。やっぱり今のセリーグで強いチームの野球をやってるのはカープだけだなあ。勝負所と見るや、チームが束になって相手にかかっていって、そうして流れを自分の方に持ってくる。優勝した時のベイスターズもそうだったものな。我がベイスターズを含めた他の五球団は、自軍の方に流れが来れば勝てるけどそれが来なければそれっきり、みたいなゲーム運びばかりしている。これじゃ長丁場のリーグ戦には勝てないよ。これはクライマックスシリーズの弊害。3位までに入ればまあいいや、みたいな意識がカープ以外のチームには充満してるもの。
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2018年07月31日

天才に勝る努力なし

 お暑うございます。それにしても今年の夏は殊の外長いですね。晦日とはいえ本日はまだ七月ですよ。これから八月が来るんですよ。夏を感じさせる気象状況はすでに全て体験しちゃいましたよ今年は。

 閑話休題

 剛力彩芽嬢がインスタグラムにおいて炎上している、てな記事をちらと見たのだが、この件に関しては僕は小島瑠璃子嬢の意見がもっともだという気がする。あのゾゾタウンのおっさん、IT長者でありながらSNSの洒脱な使い方を全く心得ておらぬと見える。ただでさえおっさんがネット上で無闇に張り切るのは、若者のそれに比べて五割増しでみっともなく映るというのに、ゾゾタウンのおっさんときたら、芸能人の彼女以上に無闇矢鱈に張り切っていてみっともないったらありゃしない。
 しかしあれかねぇ、ホリエモン氏の、新幹線の椅子を倒す際の声かけや乗車拒否タクシーにぶちぎれるつぶやきといい、IT長者っていうのは、芯のところが野暮天な連中しかいないのかね。まあ、あんまり関わり合いになりたくない連中ばかりだというのは見ていてよくわかるわいな。彼らを見ていると「人品骨柄」ってやっぱり大事なんだって思わされるね。

 閑話休題

 ゾゾタウン、と本来アルファベット表記のところをカタカナ表記にすると、途端に「時代に取り残されし中年臭」が芬芬としてくるから面白いですね。ディーエヌエーとかね。

 閑話休題

 やがてはディーをデーと発音する日本人も絶滅するのだろうね。思えば私らの親の世代などはディズニーランドを必ずデズニーランド、と発声していたものだった。しかし私ら以下の年代でそんな発音をしている人はもういない。いま、ディーをデーと発音しているのはリポビタンDのコマーシャルくらいのものだ。
 聞くところによればかつての日本人はチャップリンと発音することができず、チャンプラン、と呼称していたそうだ。気がつけばきゃりーぱみゅぱみゅもそんなに苦労せず発音できるようになっている。意外と人間は短期間で進化するものだ。

 閑話休題

 そういうわけで僕は『真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男』を読み了えたのだった。
 僕がプロレスを見始めるきっかけとなったのはやはり初代タイガーマスクの存在で、それ以降、世紀が変わって数年間が過ぎるまでずっとプロレスを見続けたから、当該書籍にある内容の八割方はリアルタイムで見たものだ。
 それだけに読みながら、あの頃に戻りたいという気持ちを強く感じた。裏側で何が起こっているのかを知った状態で体験し直したいと思った。

 閑話休題

 改めて佐山サトルの人生というのはすごいものだなあと思う。誰もが認める天才であり、おそらくは世界中のプロレスラーが欲しくて欲しくて堪らない才能を完璧に備えているにも関わらず、あっさりとその状況を手放し(つまりは間違いなく得られたはずの巨万の富も捨てたということだ)、その当時、誰も具体的に描くことが出来なかった総合格闘技の立ち上げに私財を抛ち奔走し、十年以上をかけてようやくそれが形になったところで、今度はその総合格闘技の世界から石もて終われるのだからあまりに凄い。そうした自らの才気に自らが振り回される姿が本書にはよく活写されていると思う。

 閑話休題

 佐山サトルのプロレス時代の映像を観ていて驚くのは世界各地、どこで試合をしても観客が同じように熱狂していることだ。タイガーマスク全盛の日本の観客は云うに及ばず、サミー・リーと名乗り素顔でファイトしていた頃のイギリスの観客も、タイガーマスク後期に遠征したWWF(現在のWWE)の観客も、皆、同じようなテンションで佐山サトルの試合に熱狂している。WWFに至ってはいまなお、業界に軽量級を定着させたのは日本から来たタイガーマスクだ、という評価があるようだ(因みにWWFではわずかな試合数しか行っていない)。これはやはり天才の仕事だったのだろうと改めて思う。イチローが日米の差を問わず大活躍をしたのと同じことだ。

 閑話休題

 さらに凄いのはタイガーマスクを終わらせてからも、タイガーマスクとは全くイメージの異なる格闘家としての天才ぶりを見せ続けたことだ。格闘技風味なプロレスであるUWFではスーパータイガーを名乗り、キックと関節技を中心としたスタイルでのちの総合格闘技につながる源流を表現した。プロレス界と別れてからはシューティング、現在の修斗を作り上げ、ヒクソン・グレイシーを呼び、日本に総合格闘技が根付くきっかけを作った。仮に日本に佐山サトルがいなかったら、プロレスや格闘技界は全く異なる歴史を歩み、全く異なる姿となっていただろう。
 ああホント、いま一度、当該書籍に描かれた時代を体験したいよ。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。ちょっとずつですけど作品づくりもやってます。去年ちらと云っていたRPGツクールをなんとかしたいと思って奮励努力しています。って、自分で自分のやっていることをして「努力」なんて表現する奴のことは努努信用してはなりませんよ。



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posted by みやかけお at 08:22 | TrackBack(0) | 日記