2018年09月07日

物情騒然vs泰然自若

 ぼうとしている間にいろんなことが起きています。軽々しく触れていいことやそうでないこと、様々なことが起きています。思うところは色々あれども、いま自分がなすべきことは普段の通りの生活を営むこと、それ以外にありません。そうして自分のできる範囲で自分のできる事ができたらいいと思っています。

 閑話休題

 私の身内にもいるのだけれども大きな自然災害が起こるたび、それを報じるテレビを熱心に見ながら「大変だ」「気の毒だ」と繰り返し言っているだけの人がいる。じゃあその人、百円でも寄付をするのかといったらそんなことは一切しないでテレビの前で寝転がって屁をこいている。そうして毎日テレビを見て新聞記事を読んで大変だ大変だとあほうのように繰り返している。きっとこの人の脳の中では災害のニュースもテレビドラマも同じテレビの画面の中の出来事でしかないんだろう。ゲーム脳よりもテレビ脳の方が深刻の度合いは深いんじゃないか。

 閑話休題

 ああ気がつけばもう九月。あれほど暑くて嫌だった夏が終わると思うとなぜだか心が寂寞する。もうおっさんなのに。秋になるとどうしたことか僕は決まって中学二年の時のこの頃を思い出す。放課後教室に残りうだうだしていたときの気分を思い出す。けれどもその気分は本当にそのとき感じていた気分なのかどうか、もうお釣りがくるほどのおっさんと成り果てた僕には判断がつかない。いやにはっきりとした夢を見た後の寝覚めの気分のようにも思える。『台風クラブ』でも観直そうか。

 閑話休題

 ってほら、こんな感じでなんかおセンチになっているセプテンバーの僕。すみれセプテンバーラブ。それは一風堂。あああのゴーフルの美味しい。それは風月堂。

 閑話休題

 なんかさあ「吉澤ひとみ容疑者」って表記をいろんなニュースサイトや新聞社が使ってるけど、なんかどの報道メディアも、数ヶ月前に「山口メンバー」としか表記できなかったフラストレーションをここにぶつけてる感じがするなあ。連中、大喜びで「吉澤ひとみ容疑者」って書いてる感じがする。総体的に下品だよどのマスコミも。

 閑話休題

 訳あってGoogle Homeを手に入れたのだけど、うーん、言葉に対する反応や動作のキビキビした感じはGoogle Homeに軍配が上がるんだけど、Amazon Echoの方が反応に人間味が感じられるんだよなあ。Google Homeはお手伝いさんとして有能、Amazon Echoは話し相手になってくれる顔見知り、みたいな感じ。一長一短だけど、時流に乗ってるのは明らかにAmazon Echoの方だわな。Googleはこういうプロダクトというのか、商品を発展させるのあんまり上手じゃないしね。Google+だとかNexusだとか、作ってはほったらかしの数々のメッセンジャー系アプリとかみんな駄目だし。あとSiriはこれだけ遅れちゃうともうスマートスピーカーに行くのは難しいんじゃないのかな。クローバーとコルタナは触ったことがないからわからない。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。Mac miniに27インチのWQHDのディスプレイをつなぐとどうなるんだろうなあ。やっぱり文字とか小さくなっちゃうのかなあ。


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2018年08月29日

一期一会でゴー

 『ちびまる子ちゃん』と云われて思い出すのは、あれはいまから三十年ぐらい前だったか、景山民夫氏が深夜にやっていた対談番組のゲストに来たいとうせいこう氏が、まだアニメになっていない時点でこの漫画を激賞していたことで「ここに描いてあるように子供って色々計算してるんだよね」みたいなことを云っていたのを、そうなんだあ、でも少女漫画の雑誌に連載されているんじゃ手が出ないなあ俺高校生だし、というか、いとうせいこうみたいな人になると少女漫画も読むんだなあ、と思ったのを憶えている。
 人の運命だから死ぬのは悲しいし残念だけど、さくらももこ氏という類稀なる才能を見られたことを良しとするしかないよね。客というのは結局観ることしかできない。だから一生懸命観なくちゃいけないんだと思うよ。

 閑話休題

 それにしても今年は色々な有名人が亡くなる。図抜けて暑いからだろうか。それぞれの人にそれぞれの思い出があるけれど、思うのは、いまの若い人にとってはほとんど意味を為さないことなんだろうなあということ。いくら私が左とん平やマサ斎藤が亡くなったことに衝撃を受けいろんな事を思っていても、それら人々の事をよく知らぬ若い人にとっては、なんか有名だった人が死んだみたいだけど。ぐらいの感情しか起こらんのだろう。
 これは私自身にしてもかつてはそうだったのであり、具体的には、私が小学六年生の時にわが国を代表する名優・志村喬が亡くなったのだがまったくピンとこなかった。なんらの感情も起こらなかった。志村けんのことを連想しただけだった。『男はつらいよ』を観ていなかったし増して小津映画など観ていようはずがない。
 解剖学者の養老孟司氏が「死とは身近な人、自分が知っている人についてのみ死としての意味を為す」みたいなことを云っていたと記憶するけど、ほんと、そんな感じだよなあ。私の知らない人が私の知らないところで死んだところで、そら周囲の人々は大変に悲しいだろうと想像はするけれども、それを思って泣くようなことはないものね。

 閑話休題

 ニンテンドースイッチで『ウルフェンシュタイン2』なるFPSゲームをあすび始めた。恥ずかしながらFPSをあすぶのが産まれて初めてだからまだ要領がよくわからず、とりあえず頭のおかしいナチの連中をマシンガンで撃ち殺せばいいのだろうと思ってじゃんじゃんバリバリ撃ち殺しまくっている。私はゲームが下手だから難易度を最高に易しくしているからいやもうマジでジャンジャンばりばり撃ち殺しまくっている。つってもまだ三時間くらいしかあすんでいないから云うほどでもないんだけど。
 しかしゲームそのものが残虐であることは否めず、やっぱり年端の行かない小供にはあすばさない方がいいよなあ、とは思う。しかしながらあすばせていい年齢というか判断力がついた人であれば別段問題はないとも思う。すべてはユーザーなり買い与える人間なりの責任だ。

 閑話休題

 でもこれ「第二次大戦に勝利してアメリカを占領した」なんていう架空のナチが相手だから平気で撃ち殺すけど、リアルな時代考証がされた中での殺し合いを要求されたとしたら流石にちょっと無理だな。

 閑話休題

 どういう風の吹き回しか知らないが、ニンテンドースイッチは、これまでの任天堂のゲーム機ではあり得なかったようなCEROレートのゲームが発売されていて驚くネ。

 閑話休題

 町田康氏が著した小説『ギケイキA』読了。いやあ相変わらず面白いねぇ。義経は死なずにジンギスカンになった的な伝説を取り入れて、現代まで生きている義経、みたいな設定で物語を語らせているんだろうけど、なんてのかなあ、氏の小説を読んでいていつも感ずる言葉の選択の見事さが、このシリーズではいつも以上に炸裂していてそのリズムに身を委ねるのがとにかく心地よい。義経が都落ちするところまで来たから多分これからますます面白くなるんだろうなあ。

 閑話休題

 Amazonビデオでレンタルした『リメンバーミー』を観た。ピクサー&ディズニーのやり口になど乗るものか、連中の掌の上で踊らされてたまるか、と思って歯を食いしばって観ていたのだが、くそう。結局感激して大泣きして観てしまったじゃないか。すべてを観ているわけではないから迂闊を承知で云うんだけど、ピクサー製のアニメの中で一番いい映画じゃないだろうか。エル・サントってやっぱりメキシコだと説明不要の英雄扱いなのな。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。うーん、やっぱり我がベイスターズにあってラミちゃんの役割はそろそろ終わりのところに来た感じだなあ。もう一年やらせてみたい気もするけど、違う風を入れる頃合いだろうなあ。伸び盛りのはずの選手が一様に頭打ちになっちゃってるし。あるいはコーチ陣の入れ替えかなあ。いまのベイスターズだったら監督コーチをやりたいと思う関係者も多いだろうね。




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2018年08月26日

過去を見ることは未来を見ることと変わりがないって勝海舟が云ってなかったっけ

 もちろんそれをする人を否定するつもりはないし、好きにやっていただいて一向に構わないのだけれども、やっぱりこうなんていうか、アップルストアー新規開店時やアイフォーン新規発売時に見られる、ストアー店員さんとハイタッチして店内に入って行くあの状況にはちょっと耐えられない。見ているだけで恥ずかしくなってくる。あれだけでアップルストアーへ足が遠のく気がする。そんなことを云っている私はやはり時代に取り残されし旧石器時代人なのでしょうかね。とりあえず残りの夏を費やして打製石器でも作りましょうか。そういや縄文展を見に行きたいけど暑いしなあ。

 閑話休題

 高校時代の三年間、通学の際に登戸駅でJRと小田急線の乗り換えをしていたのだが、いまは上空階で行われている乗り換えが当時は地上階で行われていた。JR側の改札の真ん前にパチンコ屋があり、じねん、通学の際に常から目に入っていた。そのパチンコ屋、新装開店のたんびにチンドン屋さんが登場して楽しく舞踊演奏を披露しつつ、新装開店なったことをアッピールしていた。帰宅の際などにそれにぶつかると、寸刻立ち止まりぼうと眺めたものだった。アップルストアーのハイタッチも要はチンドン屋さんのそれと同じ新装のアッピールなのだが極めて洒落乙極めて現代だからそう感じない。

 閑話休題

 我が国における観測史上最大の台風は一九七九年の二十号だという。この台風が来た時小学二年生だった自分はやはりこれをよく憶えている。当時のことだから台風が来るといって学校がお休みになったり始業時刻が繰り下がったりといったことはなく普通に登校したように記憶している。ただ、帰宅時に我が家のそばまで来たら猛烈なるアゲンストが吹きつけ十メートルほど体が押し戻された挙句、寿司屋の脇にあったブロック塀に体が押し付けられたのをはっきり憶えている。
 その明くる日の午後だったか、急に風雨が収まり晴れ間がのぞいたからなんぞ? と思っていたら父親が「台風の目の中に入った」と云っていて、果たしてその一時間ほど後には再び風雨が復活してなるほどなあ、と思ったのを今でもよく憶えている。
 しかしながら振り返ってみて隔世の感を抱くのは、この台風が襲来したのが十月だったということで、そうなんである、二十個目の台風が八月に来るなんてこと、かつては考えられなかったんである。それだけ気象の様子が変わったということなんだろうと思う。それもこの十年の間に激変したという気がする。ちゃんとデータを調べたわけじゃないからあくまで気がするだけだけど。

 閑話休題

 ああそうそう。昔は気象衛星がなかったから(あっても機能が低かったから)いまみたいに台風の様子がはっきりとわからなかったんだよな。テレビのニュースなんかでも、手書きの気象図を使って予報官の人や気象の専門家が解説していたっけね。そうしてまた、当時は夜の八時五四分から各テレビ局横並びで短いニュースを放送していたから、各局同じタイミングで同じ気象庁の一角から台風のニュースを放送することとなり結果、四チャンの画面に六チャンの音声が小さく入り込んだりしてたんだよな。チャンネルをガチャガチャ回してそれを確かめて喜んでたっけ。懐かしいネ。

 閑話休題

 金足農の快進撃を見るにつけ、やっぱり野球って図抜けた投手が一人いればあそこまで勝てちゃうものなんだなあという気がする。アマチュアだったらなおのことだ。しかしみんなあのエース君の力投を単純に喜んじゃってるけど本当にいいのかねぇ。所詮は高校生の部活動ですよ。まるで一生を擲っても構わないだけの価値がそこにはある、みたいなことになっちゃってるけど、高校生の部活動ですよあれ。

 閑話休題

 しかしこの最早なんだか優勝したのが金足農みたいな空気に世の中がなっていて、どこかでこれに似た状況を見た気がするなあと頭の中を検索したところ、いつぞやのM-1で、優勝したのはNON STYLEだったにも関わらず、2位に終わったオードリーの方が遥かに強い印象を残してしまい、結果、オードリーが優勝したような感じになっちゃった、っけことがあったっけね。実際、M-1後の活躍も断然オードリーの方がすごかったし。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。この「お後がよろしいようで」というのは、落語が終わるときに云う台詞ではなくて、寄席興行で次の出番の人の準備ができたという意味だってのを、うーん、なんで知ったのかなあ、『寄席芸人伝』って漫画だったかなあ、とにかくそれで知ったんだよね。まあある種の符牒だわな。


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posted by みやかけお at 08:37 | TrackBack(0) | 日記