2018年06月30日

送り手と受け手の間には暗くて深い河がある

 いやはや。再放送している『カーネーション』を毎日録画して観ているが、こんなによくできたドラマってなかなかないよなあ、と日々感心するばかりでございますよ。本放送の時から数えてもう三度目の視聴になるけれども、どこまで張り巡らされたシナリオなんだ、と目眩がするくらい。勿論、作りながら思いつく部分も多いのだろうけれども、それにしたって、あの場面あの台詞がここで生きてくる、という連続物の醍醐味がこれでもかと詰まっていて、本当に奇跡のように面白いドラマ。

 閑話休題

 いま、再放送の進行状況としては、重苦しかった太平洋戦争中の部分が終わり、戦争の間、虐げられていた洋服とパーマネント、つまりはお洒落が全盛を迎えようとする大変に前向きな時代へと移り変わったところなのだが、登場人物が、皆明るく振舞っているのが、戦時中部分が辛かっただけに、余計に楽しく感じられる。
 このあたりを観ていて、いつも思い浮かべるのは、獅子文六氏が著した『大番』という大変に面白い娯楽小説に出てきた終戦直後の場面で、焼け野原の東京にあってバラック建ての喫茶店を始めた主人公の友人を描き、そこに、主人公の雑感として「厳しい状況の中、皆が不思議なほど明るい」みたいな一文があったことで、ああ、きっとそうだったんだろうなあ、と強く思う。人間ってそういうものなんだろうなあ、と思う。

 閑話休題

 話は変わるようであまり変わりませんが、まあなんてんですかね、作り手自身が「神回予告」なんてやっているようじゃあ、二進も三進も行きませんわぃね。「神回」なんてのあ観る側が使う言葉だもの。言葉に対してこういう感じで鈍い人が作るドラマが面白い筈ァないもの。

 閑話休題

 本当に話は変わりますが、しかしまあファンなんて勝手なもので、八十年代から九十年代にかけて最強を誇ったプロ野球の西武ライオンズも、仕舞いには当たり前のように勝つから客が入らない、みたいなことになり、当時の森祗晶監督が、リーグ優勝を果たしたにも関わらず哀れ退陣した、てなことがありましてね。面白く勝つ、というのはやはり二兎を追うもので相当に難しいことなのでしょうな。まあそれをやるからプロ、という気もしますがね。

 閑話休題

 しかしこの、ワールドカップの時に渋谷や心斎橋に大挙現れる日本風フーリガンの模様をニュースなどで見るにつけ、世の中にはこんなにもたくさんのウェーイ系の人々がいるのかと思わされ、かなり暗澹たる気分になる。彼ら彼女らの有する、表面的に楽しいことが唯一の正解、みたいなパワーは、同調圧力の中でも相当に強いものだからね。
 あの映像を見るたびに、ほんとあいつらまとめて二・二六事件で厳戒態勢だった頃の東京にタイムスリップしてすごく困ればいいのに。とか思います。

 閑話休題

 いま、東京メトロポリタンテレビジョンでは、大阪発の番組である『怪傑えみちゃんねる』が土曜日の朝七時から放送される、という暴力的な行為が行われているのだけれども、しかしあれですかねぇ、この番組で顕著な上沼恵美子師の”上からモノを云う感じ”というのは、当節、すごく嫌われるのだろうなあ、とやはり思ってしまいますな。
 斯く申す私なぞは、別段、師に対する嫌悪感もなく、どころか、海原千里・万里時代のビデオをわざわざ買い求めたりしていたクチですから別段不満もなく面白く視聴していますが、こういう高圧的と取れる芸風を、殊の外嫌う人というのがそれなりの数いるのだろうなあ、そうしてそういう人々はすぐに気にくわない! と、ツイッターなんかにあげるのだろうなあ、と思います。同時に、そういう人たちって、物事に対してそんなに不寛容で毎日辛くならないのかしらん、なんて思いますです。
 でもまあ、いくら大御所とはいえ、上沼師に対して突っ込める人がいた方がより面白くなるとは思いますがね。しかし現実的にそれができるのは、鶴瓶・さんま両師ぐらいのものでしょうか。返す返すも上岡龍太郎師がいまいればなあ、と思います。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。ほんと、山崎康晃投手はもうちょっとスパッと抑えてくれないかしらん。ひょっとしたら「ランナーが出た方が自分にスイッチが入る」みたいな感覚を持っちゃってるのかしら、なんて勘ぐりをしたくなるくらいに簡単にランナーを出す。ハッキリ云って人気と実力にまだ開きがあるよ。大魔神の全盛期を10とするなら、現状はまだ5に届くかどうかというところだ。これで投手として完成だとは思いたくないんだよなあ。





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posted by みやかけお at 08:56 | TrackBack(0) | 日記
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