2018年07月04日

虎は死して皮を残し人は死して名を残す

 歌丸師が亡くなったという報せがワールドカップのそれにも負けないくらいの大きな話題になったのは落語ファンの一人としては安堵するところ。昭和の大名人の一人であった三遊亭圓生師が死んだ時には、同じ日に上野動物園のパンダが死に、それが為に「圓生も」といった塩梅で報道されるに至った、とまあこれは笑い話でもあるのだけれど。
 しかし数多の報道や人々の感想を閲するにつけ、あまりこれはよろしくないなあ、と思うのは、常に「笑点の」という枕詞やイメージがつくことで、自分なぞはつい『笑点』というか大喜利というのはあくまで落語家がやる余興であって落語とイコールではないのですよ、それのみを以って歌丸師のことを評価・判断してはダメなんじゃねぇんですかぃ。と思ってしまうのでありんす。だから『笑点』での姿は、あくまで師の持つ魅力面白さの一面でしかない、と思っておかないとダメなんでないの。ということなのでありんす。更に云えばあれらは基本的に『笑点』用のキャラクターであるしね。
 とにかく『笑点』を以って、落語とはこういうもの、落語家とはこういうもの、と単簡に思ってしまうのはひどく危険ですよ、と自分なぞは思うのでありんす。

 閑話休題

 しかし『笑点』の偉大は、世の中に落語という芸能があり、落語家という職業があるということを大衆に知らしめ続けていることにあるとも思う。もしもあの番組がなかったら、落語の大衆への浸透の度合いは随分と低くなっていたように思う。
 斯く申す自分とて、小供の時分に当たり前のように『笑点』を観ていたから、長ずるに従い落語を聴き込むようになる素地が、覚えず知れずのうちに出来上がっていたと思う。
 まああれですよ、歌丸師が亡くなったのは残念だけれど、これもいい機会だと思って落語を聴いてみるのもいいかも知れませんよ。当節、YouTubeでちょいと探せばいくらでも聴けるんだから。それもロハで。

 閑話休題

 しかしあれですよ、私らなんかの世代からすると歌丸師の喧嘩相手といえば真っ先に思い浮かぶのはやはり三遊亭小円遊師ですな。ハゲ対お化けの抗争でしたっけね。翻って当代円楽師は、小円遊師亡き後に現れた気鋭の若手落語家・楽太郎との印象が強く、歌丸師との抗争が始まった頃は、どこか世代闘争的に見ていたものですよ。プロレスで云えば鶴田対天龍と鶴田対三沢の違い的な、って、どうです、引き合いに出す話の方がポピュラリティがないというこの例え下手のほどは。

 閑話休題

 正直なところ、追いかけてまで聴いた落語家ではなかったから、語るに相応しいだけの思い入れや記憶はないのだけれど、それでも観るたびに聴くたびに、世の中を怜悧冷徹に観ている目を、軽妙洒脱でコーティングして隠しているような様子が感じられて、落語家らしい、ってこういうことだよなあ、と思って観ていたものです。餓鬼の時分『化粧術』を『花王名人劇場』だったかな、観て随分笑ったっけね。なんとなく敬遠していた圓朝作品も聴いてみようか。いい機会だしネ。

 閑話休題

 しかしほんと、当たり前のように観ていた人たちがどんどんいなくなるなあ。そういや自分がぐんぐんに落語を聴き始めた餓鬼の頃、親世代の連中に「君は落語が好きなのか。俺は志ん生や文楽を生で見てるけど、君は間に合ってないから可哀相だね」と自慢されて大変に悔しかったものだけれど、いまや自分の方が「君、落語が好きなの。俺はね、談志や志ん朝、円鏡の円蔵を生で聴いてるよ」なんて自慢げに思ったり云ったりするようになってしまっていてまじ老害。

 閑話休題

 話はまじで変わるが、昨日、出来心で初めてまともに『半分、青い』を見てしまったのだが、うわあ、主人公が譫言で「本物の刀で切られてどくどくと血が出た」といったような心情の吐露を、ナレーションならまだしも、譫言とはいえ普通に台詞として云っていて、見ていて恥ずかしくて死にそうになった。私は悲しいです辛いです衝撃を受けました、って直裁に説明してどうすんだ。
 さらには中村雅俊氏演ずる主人公の祖父が、自分の未来に絶望している主人公と電話で話している際、主人公に請われてギターを抱えて『あの素晴らしい愛をもう一度』を電話口で歌唱するという、かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう、的な場面があって、こりはだみだ、と感情を余所に遣り、ドラマ世界から一目散に逃走した。
 あの祖父が中村雅俊氏じゃなくって泉谷しげる氏やなぎら健壱氏が演じてるっていうんならまだドラマにもなるだろうけど、かっこいい人がかっこいいことをやるなんて当たり前のことじゃんか。そもそも我輩ら団塊ジュニアの祖父母の年代の人間がギター掻き鳴らして「あの素晴らしい愛を思う一度」なんか歌わねぇよ。ドラマの嘘としても到底通用しない。

 閑話休題

 そうして夜になって録画した『カーネーション』を観て、今日も今日とて素晴らしい内容に大いに感心し、心を安寧させたのであった。浮気していた勝さんを終戦とともに許し、新時代の到来で知己の八重子さんにパーマ屋をやらせることで、糸子自らがパーマをあてて女っぷりが上がるようにもって行き、そこに新たな恋の対象となる周防を登場させるというプロットの妙。まったくもって自然な流れ。物語を運んでゆく手際の良さといったらない。そうしてまた、視聴者に状況を理解させるためだけにしかないリアリティの欠落した台詞なんて一切ないしね。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。うーん、今年は勝負所で投手が抑えられない展開が続くなあ。それとラミレス監督、采配の自家中毒に陥ってないといいんだけど。まあ井納を先発に戻した判断などを見るとそうでもないんだろうけど、ちょっと意固地になってるかな、と感じる時がある。

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posted by みやかけお at 09:26 | TrackBack(0) | 日記