2018年07月31日

天才に勝る努力なし

 お暑うございます。それにしても今年の夏は殊の外長いですね。晦日とはいえ本日はまだ七月ですよ。これから八月が来るんですよ。夏を感じさせる気象状況はすでに全て体験しちゃいましたよ今年は。

 閑話休題

 剛力彩芽嬢がインスタグラムにおいて炎上している、てな記事をちらと見たのだが、この件に関しては僕は小島瑠璃子嬢の意見がもっともだという気がする。あのゾゾタウンのおっさん、IT長者でありながらSNSの洒脱な使い方を全く心得ておらぬと見える。ただでさえおっさんがネット上で無闇に張り切るのは、若者のそれに比べて五割増しでみっともなく映るというのに、ゾゾタウンのおっさんときたら、芸能人の彼女以上に無闇矢鱈に張り切っていてみっともないったらありゃしない。
 しかしあれかねぇ、ホリエモン氏の、新幹線の椅子を倒す際の声かけや乗車拒否タクシーにぶちぎれるつぶやきといい、IT長者っていうのは、芯のところが野暮天な連中しかいないのかね。まあ、あんまり関わり合いになりたくない連中ばかりだというのは見ていてよくわかるわいな。彼らを見ていると「人品骨柄」ってやっぱり大事なんだって思わされるね。

 閑話休題

 ゾゾタウン、と本来アルファベット表記のところをカタカナ表記にすると、途端に「時代に取り残されし中年臭」が芬芬としてくるから面白いですね。ディーエヌエーとかね。

 閑話休題

 やがてはディーをデーと発音する日本人も絶滅するのだろうね。思えば私らの親の世代などはディズニーランドを必ずデズニーランド、と発声していたものだった。しかし私ら以下の年代でそんな発音をしている人はもういない。いま、ディーをデーと発音しているのはリポビタンDのコマーシャルくらいのものだ。
 聞くところによればかつての日本人はチャップリンと発音することができず、チャンプラン、と呼称していたそうだ。気がつけばきゃりーぱみゅぱみゅもそんなに苦労せず発音できるようになっている。意外と人間は短期間で進化するものだ。

 閑話休題

 そういうわけで僕は『真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男』を読み了えたのだった。
 僕がプロレスを見始めるきっかけとなったのはやはり初代タイガーマスクの存在で、それ以降、世紀が変わって数年間が過ぎるまでずっとプロレスを見続けたから、当該書籍にある内容の八割方はリアルタイムで見たものだ。
 それだけに読みながら、あの頃に戻りたいという気持ちを強く感じた。裏側で何が起こっているのかを知った状態で体験し直したいと思った。

 閑話休題

 改めて佐山サトルの人生というのはすごいものだなあと思う。誰もが認める天才であり、おそらくは世界中のプロレスラーが欲しくて欲しくて堪らない才能を完璧に備えているにも関わらず、あっさりとその状況を手放し(つまりは間違いなく得られたはずの巨万の富も捨てたということだ)、その当時、誰も具体的に描くことが出来なかった総合格闘技の立ち上げに私財を抛ち奔走し、十年以上をかけてようやくそれが形になったところで、今度はその総合格闘技の世界から石もて終われるのだからあまりに凄い。そうした自らの才気に自らが振り回される姿が本書にはよく活写されていると思う。

 閑話休題

 佐山サトルのプロレス時代の映像を観ていて驚くのは世界各地、どこで試合をしても観客が同じように熱狂していることだ。タイガーマスク全盛の日本の観客は云うに及ばず、サミー・リーと名乗り素顔でファイトしていた頃のイギリスの観客も、タイガーマスク後期に遠征したWWF(現在のWWE)の観客も、皆、同じようなテンションで佐山サトルの試合に熱狂している。WWFに至ってはいまなお、業界に軽量級を定着させたのは日本から来たタイガーマスクだ、という評価があるようだ(因みにWWFではわずかな試合数しか行っていない)。これはやはり天才の仕事だったのだろうと改めて思う。イチローが日米の差を問わず大活躍をしたのと同じことだ。

 閑話休題

 さらに凄いのはタイガーマスクを終わらせてからも、タイガーマスクとは全くイメージの異なる格闘家としての天才ぶりを見せ続けたことだ。格闘技風味なプロレスであるUWFではスーパータイガーを名乗り、キックと関節技を中心としたスタイルでのちの総合格闘技につながる源流を表現した。プロレス界と別れてからはシューティング、現在の修斗を作り上げ、ヒクソン・グレイシーを呼び、日本に総合格闘技が根付くきっかけを作った。仮に日本に佐山サトルがいなかったら、プロレスや格闘技界は全く異なる歴史を歩み、全く異なる姿となっていただろう。
 ああホント、いま一度、当該書籍に描かれた時代を体験したいよ。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。ちょっとずつですけど作品づくりもやってます。去年ちらと云っていたRPGツクールをなんとかしたいと思って奮励努力しています。って、自分で自分のやっていることをして「努力」なんて表現する奴のことは努努信用してはなりませんよ。



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posted by みやかけお at 08:22 | TrackBack(0) | 日記

2018年07月23日

生きてるだけで丸儲け

 お暑うございます。こうなると夏と秋の間に「猛夏」みたいな、新しい季節の呼称が必要になるかもしれませんな。

 閑話休題

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 このテレビ画面を見て何かが大きく狂っていると思う私はやはり狂っているのか。みんな平気なのか。何にも思わんのか。

 閑話休題

 あのほれ、ZOZOの社長さんがプロ野球球団持ちてぇー、って云ってみたり、対して千葉ロッテが売らないよー、って云ってみたりするのを見るにつけ、嗚呼、なんだかんだ云ってもプロ野球球団っていうのは、それを保有していることが対世間に於いてはステータスなんだろうなあと思わされますな。してみると、楽天とかDeNAなんて随分世間的なイメージが変わったんだろうね。確かにDeNAが球団を持つことになった時には、どうせビジネスライクにやられて、我々ファンが抱くチームへの愛情など鑑みられなくなるんだろうなあ、と思っていたけれども、全然そんなことはなかったものね。ここまでやるんだ、と驚くぐらいよくやってくれてるものね。
 ただ、楽天の方は優勝した後にオーナーがスタメンを決めたりするようになって全然ダメになっちゃったけど。なんだか十年前の地獄だった頃の横浜を見るようだもの。代理監督に勝ち越せば来年もやらせてやる、なんて云っているところなんてまるっきり同じ。

 閑話休題

 しかしあれですかね、戦後すぐの頃、GHQがプロ野球を存続反映させるために、球団が出した赤字は一定額まで親会社の宣伝広告費として計上できるという措置があったと聞いたけど、まだそのルールってあるのかしらん。

 閑話休題

 うーん、ホリエモン氏が世の中に出てきた頃から感じていたけれども、ITの新興企業の社長さんたちって、どうしてあんなに人間がドライな感じがしちゃうんだろうねぇ。なんていうのかな、雑談がつまらなそうな人ばかり、というか、自分に直接関係する話以外には全く無駄として切り捨てちゃう、みたいな。ITの人じゃないけど、橋下氏が文楽への補助金を無駄としてカットした的な、文化とか芸術なんて所詮は生きる上で必要のない物だから無駄、みたいな感じなんだよな。

 閑話休題

 暑いし用事もないから家に籠ってNetflixで漸く配信なった『Jimmy アホみたいなホンマの話』を全話一気に視聴したのだけれども、いやはや、面白かったですよ。そらあ脚本的に説明不足なところ(場面が東京なのか大阪なのか混乱する)があったりするけれども、さんま師とジミーちゃん、さらにはそれを取り巻く人々との関係がよく描かれていて、涙なしには見られない内容に仕上がっていましたよ。また、ドラマ各話の前後にさんま師とジミーちゃんのトークが入るのも嬉しい。ご用とお急ぎ出ない方は是非ご覧になられるといいと思う。

 閑話休題

 さんま師とジミーちゃんといえば、このときの二人は平成のバラエティ番組史に残る面白さくだらなさバカバカしさだったよなあ。

 閑話休題

 うお。いま、Googleメンバーシップ・リワードの詐欺画面が私のMac上のChromeに表示されたよ。試しにクイズに正解するところまでクリックしたけど大丈夫かね。個人情報入れてないから大丈夫だろうけど。Googleをお使いの皆様、って当選通知みたいなのが出てきたらそれは詐欺ですからお気をつけくださいませ。しかしなんでこんなのが出るのかねぇ。こないだ見ていたエロサイトの所為かねぇ。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。つーか、張本勲に喝とかあっぱれとか云わせて面白がってないで、ちゃんとバッティングのメカニズムを解説させなさいよ。



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2018年07月22日

素晴らしき日曜日

 お暑うございます。

 閑話休題

 マサ斎藤のことを思うたびに感ずるのは、他のレスラーから大変なリスペクトを受けていたのだろうなあ、ということで、私も嘗ては重症のプロレスファンだったから相当数のインタビュー記事を読んできたが、マサ斎藤のことを悪く云っているレスラーというのはちょっと記憶にない。キャリアの全盛期に主戦場アメリカに置いていたから、私のようなファンからすると正直なところ、リング上での印象となると最高級の脇役というところに落ち着く。狼軍団ではヒロ・マツダのパートナー、維新軍団・ジャパンプロレスでは長州力以下が最敬礼でリスペクトする象徴的な存在、80年代後半に力が落ちてきた猪木が重用した対戦相手、という、常にサポートの立場にあったとの印象になる。然し乍ら、どこにいてもアンタッチャブルな領域にいるという印象を受けた。マサ斎藤にしか出来ない役割を任されているという印象があった。87年の年末だったか、両国国技館での猪木&ディック・マードック対マサ斎藤&藤原喜明のタッグマッチは、プロのレスリングの面白さが詰まっていて実に見事だったといま思い返しても陶然とする。

 閑話休題

 あとマサ斎藤といえば90年代の前半からはテレビ中継の解説者となったのだが、これがとんでもなく面白かった。覆面レスラーの正体は平気で言うわ、アメリカのレスラーをヤンキー呼ばわりするわ、同席した当時現役レスラーだった馳浩を平気で叱責するわ。それでいてプロレスの奥深さも一言で言い表す凄さもあって、いや本当に面白かった。
 本当にみんないなくなっていくなあ。ひねりを加えたバックドロップ。一度決まったらどちらかが死ぬまで外れない監獄固め。ルーチャですか? ゴー・フォー・ブロック。

 閑話休題

 話はマジ変わりますが、この数日、テレビの天気予報などを閲しておりますと、このところ予報士の方がさかんに「熱中症の危険がありますので、昼間の時間帯は原則運動禁止です」てなことを繰り返し述べておりますが、その数分後には別のニュースを読むキャスターが「熱戦続く高校野球の予選」みたいなことを述べていて、嗚呼、こんなことをやっているうちは、少年野球の人口は減る一方だろうなあ、と思いますです。
 加えて昨今のプロ野球は、客入りだけを見ればライヴ人気が高まったとも云えるけれども、そこに漂う空気は「観るもの」としてしか捉えられてないように感ずるよ。プロのプレーを観た少年が、それに憧れて僕も私も野球をやってみよう、となるような空気感は微塵もない。ライヴ感覚で応援歌を歌って勝敗結果のみに一喜一憂するのみ、という感じがするよ。野球の将来を鑑みると相当まずい状況だと思うけどね。街中や公園・広場でキャッチボールをしている友達や親子なんてまるで見かけなくなった。いまの三十代になると最早野球よりもサッカーを見てきた人の方が多いだろうから、親がとにかく野球が好きで、という家庭もいまでは少ないだろうし。

 閑話休題

 私らの親の世代、いまの後期高齢者の年代の皆さんを眺めていると、自分が取扱えぬテクノロジーをテッテ的に忌避するのに比例して、自分が取り扱えるテクノロジーについてはテッテ的に使い倒すように見受けられます。スマホやインターネットは気味わるがって使わぬのに、テレビや電子レンジは狂ったように使い倒します。
 エアコンにしても同様で、一旦使うとなると、やたらと温度設定を低くして、体が冷えきるような状態にして使います。そうして「エアコンは体が冷えるから嫌い」などと嘯いてはエアコンを忌避して暑い部屋で我慢大会のようなことをしています。
 テクノロジーに対して適度に距離を置いてほどよく使う、ということがどうも出来ないようです。エアコンの温度設定を、暑さを感じない程度にする、または窓を少し開けて使う、ということがどうも出来ないようです。あの世代の人々にとってそれは取りも直さず「無駄」ということになるようです。テッテ的に冷たくしないのならばエアコンを使うのは無駄、という理屈のようです。
 そうしているうちにエアコン=過度に冷える=体が冷えて調子が悪くなる=だから使わない、みたいな論法が成立しているようです。自分で自分を洗脳してしまっているのでしょう。
 まあもちろん、あの世代が若かりし頃のエアコンというのは無闇に冷やすものだったというのも事実なんですが、まずはそのイメージ・記憶を取り除かぬことにはいかんと思いますです。

 閑話休題

 話は本当に変わりますが、たといばこうして日曜日の朝っぱらからブログなるものを書いている自分のことを思うに、二十代の初め頃、週末となると夜っぴてパソコン通信にのめり込んでいた頃と何も変わらぬと思ってまじ情けなくなります。しかし若い頃と比べると、人生についてだいぶんどうでも良くなり始めているので、そんなに悶々としなくて済みますから今の方が断然気は楽です。思えば若い頃は金曜の夜ぐらいから週末の間、ずっと悶々としていたものね。
 さらに当時はまだ世の中にバブルの残り香が大いに漂っていたから、週末の夜にうかうか街に出れば浮かれ気分なカップルばかりでまじ癪に触る、きぃ。なんて思って街を歩くから余計にカップルに目がいくという負のスパイラルに陥っていたし。
 果たしてもっと歳をとればもっと楽になるんだろうか。それとも持たざる人間として人生が終わってゆく事実に愕然とする気持ちの方が強くなるのか。明日は、どっちだ。

 閑話休題

 でもあれだ。じゃあ彼女が出来て晴れてカップルになったらその悶々とした感覚が消えたのかというと、確かに消えたのは消えたんだけど、あの頃の悶々とした感覚とは繋がりがないような気がするんだよなあ。違う何かで上書きされたようなそんな感じ。裏を返せば、あの悶々とした感じというのは、いまでも心の何処かに蟠っているんだろう。それが一番必要とされた時に、それを持つことが出来なかったというのはきっと一生蟠ったままで残るんだろう。

 閑話休題

 あれは誰だったかなあ、映画監督かなんかが苦労の末に何かの賞を取った時に、その受賞スピーチで「(観客や評論家に対して)私が一番あなた方を必要としていた時、あなた方は一体どこにいたんですか?」と云った、というのをどこかで読んだような気がするんだけど誰がどの場面で云ったのか思い出せないし調べても出てこない。

 閑話休題

 まじで話は突然変わるが、ユーチューバーの何が困るって、あの人たち、ずーっとこっち見てくるでしょう。あれが困る。一対一、みたいな空気感出してくるでしょう。あれが耐えられん。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。常田富士男氏も亡くなっちゃったけど、そらあ『日本昔ばなし』の声も素晴らしかったけど『カリキュラマシーン』や『ゲバゲバ90分』で見せたコメディアンぶりも実に見事でした。機会があったら探してご覧になられるといいと思いますよ。




posted by みやかけお at 09:34 | TrackBack(0) | 日記