2019年01月16日

同じ時代を行ったり来たり

 こんにちは。今日も僕は元気です大丈夫ですと自分に嘘をついて生きています。嫌ですね。なるべくなら嘘をつかずに生きていたいと思いますが、しかし人はどうしたって嘘をつくものです。たといば回転寿しで寿しを食べ、お勘定をする際など、僕は決まって店員の人ににこやかな笑みと共に「ごちそうさまでしたー」というのですが、口でいうほどご馳走を食べたとは思っていません。この時の心持ちを正しく言葉にするならば「そこそこの寿司をこの値段でいただけましたから満足です。どうもどうもどもどもども」ぐらいが適当でしょう。こうして人は簡単に嘘をつきます。嘘も方便、などと嘯いて、嘘にまみれた日々を過ごしています。あなたも私も嘘つき。所詮は嘘つき、ってああ、昼寝から覚めたばかりで何を云っているのか自分でもよくわかりません。まあなんでもいいや。もうすぐ夜寝る時間になっちゃうし。そうなりゃまた寝ちゃうからどうでもいいや。寝て起きりゃあ大抵のことはどうでもよくなっちゃうしね。ああ寝よ寝よ寝るのが一番だ。

 閑話休題

 『週刊SPA!』誌上に於いて伝統芸的に続いてきた「ヤレる〜」系の記事が鋒鋩たる批判を浴びたり、ダウンタウンの松本人志師の「お得意の体を使った〜」発言が炎上したりするのを見るに、平成の終わりになってようやく昭和が本格的に終わるのかも知らんなあ。と思ったりしている今日この頃のラッコの毛。

 閑話休題

 今となっては、かつてそういう時代があってそういう時代を生きたという記憶が残るばかり。その記憶を持つ人がいなくなればいずれなくなってしまうもの。そういうものにあの頃のエロ本文化もなったということなんだろう。まあ、今後はひっそりと、表に出すことなく、あくまで自分の記憶の中だけで、たまに思い出すことにするくらいが適当なんだろう。でもそういう時代があって、そこで生きてきたという記憶は消えないからね。
 果たして今の子供たちってどういうエロに触れているんだろうなあ。夜になると中が見えてくるエロ本の自動販売機で、夜、あたりを伺いつつエロ本を買った時の気分みたいなものを味わう現代の装置があるんだろうか。あってほしいね。思春期男子がエロを前にして馬鹿を武器に立ち向かって行くあの時期っていうのは、男子の一生に不可欠な通過儀礼だからね。

 閑話休題

 さっそく『いだてん』の視聴率が第二話にして下落、みたいな記事がたくさん見られるようになったけれども、クドカン氏が脚本のドラマではいつものことなので視聴者としたらもう慣れっこの光景。そうして結果的には視聴率と反比例するように内容の評価が高まり賞を獲得する、というところまでクドカン氏脚本のドラマはセットになってるからね。
 それにしてもこれだけ世の中が進んでいるのに、いまだに視聴率を錦の御旗のごとくに報道するメディアが多い。というかネットニュースとやらが跋扈し始めてからより多くなったような気がする。もう時代の中心はNetflixなんかの方に移っちゃってるのに何をやってるんだろうかねぇ。

 閑話休題

 まあピンクレディーにしろクラッシュ・ギャルズにしろ古来より女性アイドルは仲が悪いというのが定説だからねぇ。しかし本当に、アイドルが知人男性を使って同じグループの別のメンバーを襲わせる、とか、まじシャレにならないレベルの話で恐ろしいねぇ。ほとんど映画『仁義なき戦い』の世界だものなあ。
 ほんと、時代ってなんなんだろう。時代の先端を行っているはずのAKBグループから、こんな陰々滅々たる昭和芸能界テイストな醜聞が出てくるんだものなあ。昭和のエキスが濃縮還元されてるみたいだよ。

 閑話休題

 で、なんであの秋元康氏って人は、AKBグループでコトが起こるといつも他人事みたいな態度を取るんですか。NGTとかとあんまり関係ない人なんですかあの人。つーか高井麻巳子を娶ったという過去を鑑みるに、アイドルプロデューサーとしてなんか信用できない気がしちゃうんだよな。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。十五年くらい前は頼まれて時事ネタのFLASH動画とか作ってたから、こういう話題があると舌舐めずりしてネタを考えたものでしたな。最近はもうなんもネタ的なアイデアは浮かびません。
 最近ではやはりナイツの時事ネタの作り方は実に見事と思う。深追いせずにささっと処理、しているようで実は相当に酷いことを云っているというあの手際の良さは本当に見事。



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2019年01月13日

人品骨柄でゴー。

 おはようございます。早くからご苦労様です。こんばんは。遅くまでご苦労様です。お風邪などお召しではありませんでしょうか。私はといえば先日来より引き込んでいた風邪もほぼ良くなりまして、今はなんだかとっても眠いです。この文章も半分寝ながら書いています。ああ、そういえば僕がまだ若くてギンギラギンだった頃、そうさなあれはいまから二十八年くらい前だったか、二日間徹夜をしてパソコンを操作していたところ、あんまり眠いものだから、まじ半醒半睡の状態でキーボードを叩く仕儀となり、ハッと気づいたら、その時開いていたエディタの画面に意味不明な文字が羅列していて、一体これはなんだ。無意識で自分は何を打ち込んだのだしかもプログラムを打ち込んでいたはずなのに漢字が入ってるし、としばし考え込んだことがありましたな。当時のパソコンで漢字・日本語を入力しようとすれば、現在のように、カーソル位置そのままで日本語が入力できるということはなく、フロント・エンド・プロセッサと云って、日本語入力を命令するショートカットを入力、すると画面の一番下に一行だけ日本語入力の枠が登場、そこに日本語を打ち込んで変換・決定をすると、エディタ本体にその文字が転送される、という手間をかけなければ入力ができなかったのであり、てことは、その半醒半睡だった僕はわざわざ日本語入力のモードを起動、そうして意味不明な文字を打ち込んでいたのであり、ほんと、無意識ってわけわかりませんね。ということを急に思い出しましたが、別段、この話にオチはありません。つーか話にオチなんかいちいちつけるわけないだろうわたしゃ別にプロじゃないんだから。

 閑話休題

 ああそういえば昔は、フロントエンドプロセッサ略してFEPと呼ばれていた日本語変換エンジンは基本、ATOKみたいに別売りで用意するのが当たり前だった(OSが用意する日本語変換エンジンはみんな使い物にならなかったからネ)。そんな頃、九〇年代の中頃にMac版の変換エンジンを買いに、かつてあったパソコンショップ(うわ、この響きももはや懐かしい)J&Pへ行き店員に「エフイーピーはどこに売ってますか」と尋ねたら店員、寸刻考えてから「ああ、フェップですか」と、なんかこちらを「ものを知らぬやつ」みたいな感じで見下して云いやがったから腹が立って、売り場の案内だけさせて買わずに帰ってきたことがあったっけ。そうこうしているうちに時代が変わり、FEPはIM(インラインマネージャー)と呼ばれるようになり、OSに搭載された変換エンジンが高級になり、だーれもフェップなんて云わなくなりましたとさ。あの店員も今頃どうしているのやら。思えば道玄坂の真ん中にパソコンショップJ&Pがあったなんて、それも結構大きな店舗があったなんていまとなってはなんだか夢みたいだ。

 閑話休題

 ちなみに僕はEGBRIDGE派でしたよ。

 閑話休題

 なんていうか、金持って下品ですね。大金をやるからリツイートしろだなんて、ほんと品性が下劣ですね。金なんかたくさん持ってたって、人間が下品だったらしょうがねぇねほんと。あれを下品だと思わない人とは到底話が合わないだろうな。なんなんだあれほんと。いやだねぇああいうの。ほんといやだ。

 閑話休題

 あの百万やるからリツイートしろ、を見るだにつけ思い出すのは映画『キングスマン』でサミュエル・L・ジャクソンが演じた頭のおかしい悪役で、若作りのIT社長を演ずる彼は、本体から通話料からタダで使える携帯をみんなにあげるから使ってくれというのだけれど、やっぱりそれは世界を征服しようとする悪巧みなんだよな。
 ほんと、みんな百万もらえるかもと思って安易にリツイートしているといつの間にか服は全部ZOZO TOWNで買わされることになり、さらに気づいた時には身体中にZOZOスーツを作るための白い水玉が刺青されるようになってたりするぞあれきっと。

 閑話休題

 しかしほんと、ITバブル以降、世の中に登場してくるIT金持ち社長さんってみんな頭おかしいよな。いや頭おかしいというか、日本人の美徳につながる感性がまるで感じられないというのかな。無駄の排除が全てにおいて正しいと思い込んでいるというのか。それをいっちゃあおしまいよ。という寅さん的観点がまるで通用しないというのか。なんだかどいつもこいつも雑談のつまらなそうな奴ばかりだし。

 閑話休題

 いやあ『いだてん』まだ始まったばかりだけど面白くなりそうだなあ。まずもってクドカン氏を大河ドラマの脚本として起用するに当たって、それを実現するおそらくは唯一にして最適のタイミングだったと思うネ。この、オリンピックが来る直前という最大のタイミングを逃さなかった時点で、面白くなるのはもはや決まってる、ってな感じがするもの。何れにしても一年間、大いに楽しめそうだ。第一話の最後、顔面を朱に染めた勘九郎丈が走り込んできた時には観ていてぞくっとしたものなあ。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。人的補償とか、どうして陰々滅々たる要素が発生するシステムを採用するんだろうなあ日本のプロ野球は。でもみんな完全に面白がってるよな、長野とか内海が人的補償になる残酷物語を。要は荒川尭や江川やKKのドラフトの頃から感覚が変わってないんだ。なんだか下品な連中が多いや。ドラフトのショーアップも人的補償の盛り上がりも詰まるところ人買い風景の物凄さだもの。もうプロ野球なんか、かつての半分も世の中に影響を与えてないのにいつまでこんなことやってんだ。



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2019年01月11日

きのうの続きがきょうになる

 あけましておめでとうございました(過去形)。

 閑話休題

 今年はやるぞ。作品をたくさん作るぞ。そうだ今年こそ俺はやるんだ。いままで寡作だったぶんを取り戻して驀進するんだ。と、決意を新たにし、相応に行動も変え始めた二〇一九年正月、だったにも関わらず、その矢先である五日に風邪を引き込みダウン、その後、四日間もウンウン唸って寝込んでしまう為体。
 こうなるとせっかく新たにした決意も何処へやら、やはり今年も何も変わらないのかもしれない。今年も何もいいことはないのかもしれない。もう僕の人生はこんな調子で無残な感じで終わってゆくのかもしれない。と、悲しい気分になっているところであります。
 まあそれでもインフルエンザに罹患していなかったことは物怪の幸い、そう思って自分で自分を励まし鼓舞しているけれどもやっぱり僕はもうダメです。空元気すら出やしません。それが証拠にもう二十五年も好きなままでいる内田有紀嬢のことを思ってもいっかな元気が出ません。『夜空にYOU KISS!!』の録音を聴いても元気が出ません。ファースト写真集『YOUKISS』はもうずいぶん昔に売っちゃったんで手元にないし。
 これはもう非常事態です。僕的非常事態宣言です。トランプが作ると息巻いている国境の壁どころの騒ぎではありません。まじ誰か助けてください。助けてくれないのならばせめてお金をください。あるいは、これをご覧のあなたが若くて素敵な女性であるのならば是非おっぱいを触らせてください。もう僕はダメです。だから助けると思って金を寄越すかおっぱいを揉ませるかしてください。できたら金かおっぱいが絶対に必要なのです。

 閑話休題

 こんなことを書いたすぐ後くらいに、私が泥棒や痴漢を働いた廉で逮捕されて新聞種にでもなった日には、このブログが世間に出るのだろうなあ。一丁やるか。ってダメだやっちゃ。

 閑話休題

 このところテレビジョンの報道を閲していると、なにがしかの犯罪を犯した犯人・容疑者のFacebookやツイッターのアカウントがすぐさま発見、放送されるのが当たり前になりましたな。これを見るたびに『古畑任三郎』で云ってたように、人間誰しも犯罪者・殺人者になる可能性があるということなんだろう。別段、犯罪者や殺人者が我々とは種類の違う人間という訳ではないことの証左がFacebookのアカウントなんだろうと思って、自分だっていつそうなるやもしれないという想像力だけは失わないようにしたいものと思う。

 閑話休題

 ほんと、これからは犯罪者やノーベル賞受賞者の卒業アルバムを探すのに変わって、SNSのアカウント探しに躍起となるんだろうね我が朝のテレビ報道の人たちは。次の元号の世では、すごい犯罪を犯した人が高校時代にアップしていたTikTokの動画、みたいな間抜けな報道を目にすることが増えてくるんでしょうな。何年か後に自分がすごい犯罪を犯すなんてことをまるで想像だにしない感じで楽しそうにくりくり踊っている動画とかが世の中に流されたりするんだよこれから。くわばらくわばら。

 閑話休題

 そうはいっても昨日あたりからは体調も上向いてきたので田崎健太氏が著したkindle本『全身芸人』を読んだのであった。
 作家・演芸評論家の吉川潮氏が書かれた数々の芸人伝ものが、芸人の人生を物語化した、その芸人の内側に立ったものだとすると、こちらはずいぶんと対象となる芸人との距離感があるように感じた。しかしながらそれによって、ドキュメンタリーとして迫力のあるものに仕上がっていると感じた。冷静な目でその芸人のあり方と、時代との乖離を描いていると大いに感心して読んだ。トリを飾るこまどり姉妹の来歴など完全に芸人残酷物語として、当の芸人自身が練り上げてきたものに他ならないと思うのだが、それを物語化するとことなく、それを語る、八十歳を超えた子飼いの芸人の姿を描いているのが物凄い。そういうある種の冷ややかとも云える高所大所からの視点が貫かれているのがドキュメンターとしてとても良いと思って読んだ。

 閑話休題

 私が思う”芸人”というのはやはり当該書籍に紹介されているような、カタギの世界では到底暮らすことができない困った人たち、結界の向こう側に行ってしまった人たち、のことで、軽々しくそれになれるものではないという憧れと畏れが同居する存在。だから簡単に”芸人”という言葉を使うことができない。然るに当節のバラエティ・タレントが「僕ら芸人なんでー」なんて、結界の向こう側に行く覚悟もなく(というかそんな結界があることすら気づかない)軽々に口にするのを見るたびに、こんな風に言葉に対して鈍感な奴が真に面白いものを作れるはずがない。と思って嫌な気持ちになる。

 閑話休題

 芸人周りのエピソードで好きなのは、戦前の頃から浅草などの繁華街を浮浪児のごとくうろつき、大量の演芸、エンターテインメントを鑑賞してきた色川武大氏が、藝人という存在を、世間からドロップアウトした存在として世間の基準から見れば実にいい加減な人間であると描いたのに対し、戦後の浅草フランス座で座付き作家として内側からそこに参加していた井上ひさし氏が、藝人とて銀行員と同じように真面目に仕事に取り組んでいた、と真っ向から主張を異にしていたこと。聞けば、二人はその主張の違いからパーティなどで顔を合わせても誠にそっけない態度を取り合っていたという。しかし色川氏が逝去されたのち、井上氏が、色川氏の書斎を訪れた際、自分が血眼になって集めていたアメリカのコメディのビデオなどが書棚に並んでいるのを見つけ「内側と外側、見る方向が違っただけで同じものを見ていたのだ」と深い感動に包まれた。という話が私は好きでありんす。

 閑話休題

 ではそんなことでお後がよろしいようで。Netflixに入っていたから久しぶりに『めまい』を観たけど、いやあ、面白いのはもちろんすごく面白いんだけど、やっぱりヒッチコックって異常な変態だよなあ。と思った。





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